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2006年10月 1日 (日)

浜川のすべて 4

番外編2 大正時代の図面

特に新事実は無いのですが、著作権上問題が無いであろう地図を紹介します。

会社のスキャナを使うのも大げさなので、デジカメで撮影したものです。
見にくいのはご容赦下さい。

Taisyo

画像ファイルをダウンロード(この方が詳しく見ることができます)

浜川のすべて 3」で用いました図面(大正13年)の、静岡県庁周辺です。

駿府城の中心は、歩兵第三十四連隊となっています。
今の市民文化会館あたりが静岡監獄(また古めかしい表現です)。
裁判所は昔からあの場所のようですね。
精華女学校、英和女学校、不二女学校なんてのも見えます。
(それぞれの学校の沿革資料を見ると面白いかもしれません。)
今の静岡病院のところに、安部郡役所なんて文字もあります。

赤ボールペンは「川」です。
以前、あおい君が書いて下さった、江川町交差点の「くまかたばし」ですが、この地図上では、橋の名前やそのヒントは見られません。
ちなみに、すぐ右下に「新谷町」とあります。
これは「しんがいちょう」と読むそうで、こちらのページによると、小梳神社の神職、新谷右近が居住していたことに由来するようです。
ちなみに町名は消滅、今の御幸町とのこと。この辺はまた別の資料でも見てみます。

その他、最近見た資料など紹介。

静岡市の百年 大正 1988年 山内政三 図書情報リンク
これは面白い本です。
大正時代の図面が結構載っています。
紺屋町・呉服町商店街の図面では、田丸屋本店、世界長支店(今の世界長酒舗?)、松柏堂(安倍川餅 今のカネボウ通りにあるお店かな)、服部蒲鉾店、堀八百貨店(今の玩具店?)、竹茗堂、三笑亭本店あたりが確認できます。
詳しい人が見れば、もっと楽しめるでしょう。

また、この本に載っている図面では、西脇付近の川(現在は浜川と呼ぶ人が多い区間)に「桔梗川」と名前を振っています。
あくまでも可能性ですが、西脇周辺の人は「桔梗川」、河口付近の人たちが「浜川」と、同じ川を別の呼び方で呼んでいたのかもしれません。

ますます真実は霧の向こうであります。

その他、見瀬地区に養魚池があったり、今の馬渕二丁目緑地がどうやら製紙工場跡地らしい、とか図面だけでも楽しめます。
ただ残念なことに禁帯出。じっくり読むなら図書館に通い詰める必要があります・・・

わがまち旋回 静岡県航空写真 1983年 静岡新聞社 図書情報リンク
ちょっとだけ昔の写真。
石田街道沿いに川の流れている様子が良くわかります。

さて、相当なスローペースで進んでいるこの企画ですが、次の記事もまた数週間後になると思われます。
気長にお待ち下さいますよう、平にお願いするところのものであります。

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